レジャー施設の店舗マネジメントやコンサルティングなどの異業種でキャリアを重ねてきた私が、「子どもの頃から好きだった航空機に関わる仕事に挑戦したい」と転職を志したのは、40代に入ってからでした。ただ、当時の募集対象は、航空専門学校や航空工学系の大学を出た人材。専門課程を修了していない私は、書類で見送られてしまう日々が続きました。それでも諦めきれず「雇用形態にこだわらず、やれることは何でもやろう」と思い、大手航空機製造メーカーに、機体を組み立てる製造担当として入社しました。
憧れの業界に入り航空機に関われる毎日は充実していましたが、働くうちに「生産体制をより良くできるんじゃないか」という気持ちが芽生えました。ですが、製造担当者の立場では、全体的な仕組みづくりにまでは手が届きません。だからこそ、今後の自身のキャリアアップを考えた際にそうした仕事に携われる、航空機の生産技術エンジニアの道に進もうと決意しました。
転職活動をする中で出会ったのが、オープンアップネクストエンジニアです。積み重ねた多様なキャリアこそ、ほかにはない武器になる。そう信じての40代での挑戦を、当社は受け入れてくれたのです。
入社以降は1つの配属先企業で、生産技術エンジニアとして勤務しています。具体的には、設計図をもとに組み立ての順序を計画し、作業指示書に落とし込むなど、航空機の組み立て工程のプランニングを行う仕事に携わっています。現場で「もっとこうしてほしい」と感じていたことを、今度は自分自身の手で改善できる側に回ったわけです。とにかく知識を身に付けようと、最初の3年間は勉強に明け暮れました。休日に専門書をひたすら読み込む日々も、やりたくて入った業界ですから少しも苦になりませんでした。
2年目には、「現場をよく知っているから、製造の課題を実際の現場にも行って解決してほしい」と、新しい仕事を任せてもらいました。
ここで活きたのが接客業界で学んだ、相手の求めることを察して動くホスピタリティ精神。例えば私は、製造現場の皆さんを「お客様」と捉え、時には実際の機体のそばまで足を運びます。夏場は40℃を超える製造現場に一緒に立ち、製造現場のスタッフ向けに指導をしたり、ただ指導するだけではなく自分で組み立て作業をやってみせたりする。そうして積み重ねてきた信頼が、課題解決を任せてもらえるような関係性につながったのだと思います。
現場に立ち続けることで見えてきたのが、業界のスタンダードの中に埋もれた「当たり前」です。長年のやり方も、視野を広げて順序や道具を見直せば、1時間の作業が30分に、作業負担が3分の1になることもあり、業務改善のきっかけを得ることができたのです。
長いキャリアの中でも特に大きな経験となったのは、自動車業界で使われている「生産管理板」という作業進捗を見える化するシステムを、航空機製造に取り入れるプロジェクトです。航空機は部品が約300万点あり、1機作るのに約3年かかります。自動車と同じ手法がそのまま通用する規模ではありません。そこで、これまでは作業単位で分けられていた細かな指示項目を、1分単位に区切ってすべてシナリオ化し、マクロを用いた生産管理システムを自ら構築。着手から5年ですべての機体へと展開しました。膨大な工数を要する仕事でしたが、この仕組みができれば複雑な手順が明確になるので、製造現場は必ず喜んでくれる。その様子を思い浮かべると、つい笑みがこぼれ、手を動かす時間そのものを楽しみながらやり遂げることができました。
入社以来、製造現場と長く積み重ねてきたものが、実を結ぶ瞬間が訪れます。国内に1機だけの機体の製造に携わっていたのですが、先日初飛行を迎えました。1日の納期の遅れも許されないというプレッシャーがある中、試験結果が予測と合わず手が止まりかけることもありましたが、「今できることは何か」を考え抜き、課題を1つずつ乗り越えてきました。完成した機体が空へ舞い上がる様子を見届けた時は、「エンジニアの仕事を選んで良かった」と心から思いましたね。
航空機の開発の仕事にはまだ社外に出せない情報も多く、難しさもあります。どれほど優れた改善を達成しても、その成果を安易に外には出せません。自分がやってきたことや培ってきたことを、どう知ってもらえばいいのか。それは長い間、私の悩みでした。転機は2024年、社内の技術社員表彰制度で「優秀賞」をいただいたこと。嬉しさの一方で「どうすれば最優秀賞に届くのか」という悔しさも残りましたが、自己分析を重ねていく中で気付いたのです。これまでは自分の目標ばかりを見ていて、会社全体への貢献にまでは考えが及んでいなかったのだと。
そこから、視野が変わりました。友人が仕事の悩みを抱えているようであれば、転職の機会になればと当社を紹介して面談の機会を設けたり、航空機作りの楽しさをもっと広めようと、社内研修の講師も担当。参加者26名の96%から満足の声をいただきました。やがて、それまで他の分野で活躍していたエンジニアが「航空機プロジェクトに挑戦したい」、さらには「立松さんと同じ配属先で働きたい」と声をかけてくれるまでになりました。
入社当時、配属先企業の当社メンバーは私を含め2名でしたが、今では40数名ものメンバーが働き、私の業務も人材育成が5割近くまで増えてきています。自分が成長すれば会社が伸び、会社が伸びれば仲間が増える。「『航空機開発のエンジニア』といえばオープンアップネクストエンジニア」と言われる日まで、仲間を増やしていきたいですね。